「お前は一体どうしたいんだ?」 「もう…嫌なんだ。」 「で?」 「………俺と別れて。ヒイロ。」 声が掠れた。 目に浮かぶ涙で視界が歪み、目頭が熱くなって、喉の奥も燃えるように熱くて。 ヒイロのあきらめたようなため息に、びくりと肩が震えた。 ヒイロの顔がまともに見れない。 「…好きにしろ。」 耳に届いた声に、一粒。 大きな涙が零れた。 真っ白い病室。 無機質なその部屋から、ゆっくりとでていくために歩き出す。 自分の足音しか、音のないその空間が痛い。 背中に感じていたヒイロの視線を感じなくなって、また――――涙が零れた。 最後にもう一度。 キスが欲しかった。
もうなにも怖いものは無い。 失うものも無い。 正直疲れた。 疲れてた。 こんな毎日に。 いつもいつもヒイロとリリーナの記事を目にして、なんでもない。嘘の記事だとわかっていても、あえない日々は不安を募らせて。 よくある騒ぎ立てるようなゴシップ記事だった。 「いつもリリーナ外務次官の隣にいる騎士」だかなんだかで目をつけられて、騒ぎ立てられて。 リリーナも立場的にあまり強く抗議などできずに。 ヒイロはもちろん表舞台に立つことなんてないから、何も言わない。 それでも毎日毎日雑誌記者に追い掛け回されて、はりこまられて。 ヒイロは中々、家に帰ってこなくなった。 帰れなかったのだと、帰れないのだとわかっていたけれども。 それでも会いたいとき、そばにいないのが辛い。 隣にいて欲しいときにいないのが辛い。 キスが欲しいときにいないのが辛い。 あれはテロ騒ぎがあったとき。 テロの攻撃からリリーナをかばったヒイロ。 心配で心配で慌てて病院に駆け込めば、面会謝絶の看板。 驚いて、声が出なくて。 廊下で泣いてるリリーナをみかけた。 どうしていいのかわからなくて、こんなに動揺している自分にも驚いて病院からでようとすれば、玄関先には記者達の群れ。 ああ…マズイと思った。 案の定次の日の新聞やら雑誌にはばばーんと大きくその事件は取り上げられていて。 記事を読んで胸が苦しかった。 リリーナを体をはって守ったSPの、記事。 そして時間があるときは常にその病室にいるリリーナのこと。 最初は事件のことばかりを書いていた記事も、だんだんと二人の親密な関係について書くようになり。 しょうがない。世間で最も注目の的であるリリーナには浮いた噂の一つないのだから。 いつもいつも。リリーナの影にいるヒイロに白羽の矢が当たるのはしょうがない事なのだ。 わかってはいても、でもそういう記事を目にするたびに辛かった。 ぶんぶんと頭を振る。 心配で、心配で、心配ならお見舞いに行けばいい。 様子を見に行けばいいのだ。 ノインから連絡もあった。一般人は面会できないが、俺らはやっぱり特別らしい。 だからいつでもこいと。 でもいけなかった。 いっても病室の窓を外から見上げれば、きまってリリーナの影が見えた。 いけばお嬢さんがそこにいる。 廊下で涙を零していたリリーナの顔を思い出す。 そんなリリーナに、ヒイロはなんと声をかけるのだろうか。 どんな会話をしているのだろうか。 自分をいつも。いつだって。守ってくれてるヒイロに、リリーナが好意を寄せていないとは言い切れない。 「くそっ…。」 ヒイロに別れを告げた。 リリーナがいないときを見計らって、まるで盗みに入るみたいにこっそりとヒイロの病室に忍び込んで。 寝ていたヒイロが起きたとき、驚いた顔をして。 それがまた悲しかった。 さんざん泣き喚いて、ばかみたいに感情をぶつけて。 何を言ったかもよくわからない。 ここ数日の不安だった気持ちとか、好きだとか、嫌いだとか、もう嫌だとか。 出会わなければよかったとか、あの時一緒にすむことにしなければよかったとか。 色々とぶつけて…自分でもよくわからなくて…。 そしたらヒイロに聞かれた。 お前は一体どうしたいんだと。 だから素直に答えた。 もう開放して欲しい。 開放して欲しかった。 ヒイロから。 ヒイロから開放して欲しかった。 ヒイロがいないとダメな自分。 ヒイロに寄りかかってしまっている自分。 嫌だ。 嫌だった。 辛くて。 嫌だったから。 なのに。 開放されたのに。 もう失う怖さも、嫌われる怖さも、捨てられる怖さも。 あんな雑誌に左右されることも。 なにもないのに。 なのに。 どうして今。 こんなに辛いのだ。 「嫌だ…。」 ぽたりと、床に雫が零れて。 ぽたりぽたりと次々に染みを作って。 「嫌だってば…ヒイロ…。」 ぐいっと袖で目元を拭う。 こらえきれない嗚咽が漏れて、息苦しい。 ダメだ。 離れても、別れても、もうあんな思いはしないとわかっても。 それでも今、この状況が辛い。 これから先、自分の隣にヒイロがいないのが辛い。 あのキスがないのが辛い。 あの手がないのが辛い。 「助けて。」 口から無意識に言葉が漏れて。 そのままうずくまる。 道を行き交う人々の視線を背中に感じて、少し恥ずかしくなって顔を上げた。 するとじゃりっと音がして、目の前に現れた黒い靴。 見覚えがあるのは当たり前で、それは自分が見繕ってあげた靴で。 もちろんヒイロになのだけれど。 「何をしている?」 「…そりゃ…こっちのセリフだっての。」 のろのろと顔を上げると、目の前には顔をゆがめたヒイロがいた。 まだ怪我が痛むのだろう、病室から抜け出してきたのか、コートの下から見えるのは寝巻きのずぼんだった。 それに苦笑いする。 「初めまして。ヒイロだ。お前は?」 「……何バカなこと言ってんだよ。」 「…お前が出会わなければよかったというから。初めましてからやり直そうかと思ってな。」 「ばかだろ。お前。」 「じゃあどうすればまたお前を抱き寄せられる?」 差し出された手に、一瞬戸惑って。 困惑した瞳をヒイロに向ける。 あの日々に疲れてた。 あの辛さに耐えられなかった。 開放されたくて、逃げ出したくて、別れを告げたのに。 でもヒイロがいないのが耐えられないと、今さっき、改めて感じた。 無意識に口から零れた言葉は、心の声だ。 嫌だった。 嫌で、嫌で、嫌で辛くて。 何が辛かったのか。 今ならわかる。 ヒイロが自分から離れていってしまうこと。 ヒイロを失うこと。 ヒイロと別れることが。 嫌だったのに。 どこでどう間違えたのだろう。 「俺はデュオ。デュオ・マックスウェル。」 「住むとこないならうちにこい。」 「我侭だけど。独占欲強いみたいだし。それでも?」 「とっくに知ってる。」 「出会ったばかりなのに?」 「出会う前から知ってたさ。」 微笑するヒイロにデュオは笑った。 差し出された手を掴むと、そのまま立ち上がって。 そのとたんぐらりと揺れたヒイロの体を、慌てて支えた。 少し熱があるのか体が熱いヒイロに、驚いて瞳を丸くする。 「ひ、ヒイロっ!?」 「だいじょ…う…ぶだ…。」 「でもっ…。」 「責任もって病室まで送り届けろよ。デュオ。」 「お…おお…。」 ヒイロの腕を掴んで肩に少しだけかついで。 歩いてきた道を二人で歩き始める。 傷が痛むのか、ヒイロはときたま辛そうな声を漏らして。 そのたびに泣きたくなった。 「ごめん…。」 聞こえたか、聞こえないか、わからないほどの小さな声。 ヒイロは何も言わない。 だからデュオは少し俯いて、また口をつぐんだ。 「………俺も…不安にさせて…悪かったと思ってる。」 「ヒイロ?」 「だから…あまり…泣きたくなることを言わないでくれ。」 「………ごめん。」 病室までの道のりは思った以上に長くて。 なのに二人その後ずっと黙ったまんまで、でもその無言は辛くはなくて。 胸に残ったのはほんの少しの罪悪感と、幸福感。 俺はこんなにもヒイロが好きで。 ヒイロはこんなにも俺を想ってくれていて。 なんで間違えたんだろう。 病室に戻ったらヒイロは倒れるようにベットに崩れこんでしまったけれども。 意識を失う前にひとつ。 キスをくれた。 +++あとがき ヒイロシンドロームをかきたかったのになァ…。 なんでこんなシリアス?な話に。 あわわわわ…(遠い目) 色々と思うところはあるのですが、もういっそ中身についてはノーコメントで。 2004/08 天野まこと |