■■■海の名前


波みたいだと思った。


最近俺はおかしい。
なんだか変だ。
岩牢にいた時には気がつかなかったけれども、三蔵の手をとってあの岩牢を出てから気がついたことがある。

俺の中には海がある。

その海はある時だけ…まるで台風のときの海みたいになるんだ。





海を初めて見たのは少し前。
八戒の運転するジープで、いつものメンバーで海に行った。
八戒はお手製のお弁当を持ってて、悟浄はいつもみたいに笑って、俺たちのところに現れて。

「よ!生臭ぼーずに小猿ちゃん。海へ行こーぜ。」

「誰が小猿だ!!エロがっぱぁっ!!」

いつものように悟浄につっかかってくと、後ろでは八戒がいつものように笑ってた。
そしたら三蔵はやっぱりいつものようにチッって舌打ちして、タバコを口に咥えて。

「めんどくせー。」

想像通りの返事。
でも俺は『海』が何なのか知らなかったから、三蔵の法衣を掴んだ。

「な、三蔵。『海』ってドコだよ?寒いのか?暑いのか?」
「…てめぇは…海を知らんのか。」
「知らない。だから、俺、行きてぇよ。」

三蔵の顔は不機嫌そのものだったから、ハリセンで叩かれるかな?って思ったけれど、大丈夫だった。
三蔵が法衣を掴む俺の手を不機嫌そうにチラリと見るから、慌てて手を離して。
少し強請るように下から見上げたら、三蔵は軽くため息をついた。

「行くぞ。」

低い低い、三蔵の耳障りのいい声が聞こえて、俺は嬉しくって嬉しくって笑った。
そしたら前を少し歩き始めていた三蔵が僅かに足を止めて、何故だか振り返るから…その時三蔵のあの深い紫暗の瞳がじっと俺を見ていて。
その瞳と目が合った瞬間、俺の胸が小さく音を立てた。

何か寺院の物を壊したときとか、三蔵の大事な書類に墨を零しちゃったときとか、三蔵に怒られるかも!!って時にするどきりとは、ちょっと違ってた。

はじめて見た海はすごかった。
何がすごいんだかわっかんねぇけどすごかった。
広くて大きくて、青くて、きらきらしてて、とにかくすごかった。

「すっげぇー!!!」

思わず大きな声で叫んだら三蔵にハリセンで叩かれた。
でもなんだか顔がにやけてしまって、俺はずっと笑ってた。
八戒のお弁当は嬉しかったし、海の水は冷たかったけれど気持ちよかったし。
きらきらきらきら、綺麗で、楽しかった。
夕暮れ時になるともっとすごかった。
真っ赤な太陽は、あの広い海の向こうに沈んでいく。
海も俺も三蔵も、悟浄も八戒も白竜だって。
皆、皆真っ赤に染まってすごく綺麗だった。
ざーざーと俺たちに近寄ってきては、すぐにするすると離れていってしまう波。
八戒が波について色々教えてくれた。
今日はこれくらいだけど、風が強い日や台風のときとかはすごいらしい。
この小さな波が何メートル、何十メートルにもなるらしい。
すげぇ。
海ってすげぇ。
何がかはやっぱりよくわからないけれど。

「な、な、三蔵?すげぇよ。すごくね?海。」
「そうだな。」

三蔵の口に含んだ紫煙がゆらりと風に揺れて流れる。
じじっとタバコの先端の火が燻ぶって、目の前の真っ赤な太陽を三蔵の紫暗の瞳が見つめていて。
その三蔵はすごく綺麗で、また小さく、俺の胸が音を立てた。
綺麗な三蔵を、無意識のうちにじーっとみていたら、三蔵はそんな俺に気がついたのかくるりと振り返る。

「なんだ。」

低い三蔵の声が響いた。
深い紫暗の瞳が、俺を見ていた。
そして再び、俺の胸が音を立てる。
ドッドッドッと激しく音を立てて、顔がカーッと熱くなって、頭の中がくるくるした。
さっきまでの音と違う。
全然激しい音。

「あ、や、別にっ、なんでもねぇ。」

どくん、どくん、煩い心臓。
俺はコレが何を意味するのか知らない。





それ以来、俺は気がついた。
俺の中には海がある。
あの時みた、穏やかな海。
ソレがいつも俺の中にあって、いつもは静かなのに三蔵と目があうと煩い。
八戒が言ってた、風が強いときの海なんだ。
あの後八戒が海の本を見せてくれた。
いっぱい写真とかがあって、でっけぇ波も見た。
台風の時のでっかくて、荒れ狂う海の写真を見た瞬間、俺は思った。

コレは俺の中にある。

でも、前まではなかった気がする。
三蔵に、岩牢から出してもらうまではなかった。
あの気が遠くなりそうな長い長い時の中で、こんなに心臓が煩くなったことなかった。

この海の名前を俺は知らない。

「…てめぇは…何を悩んでる。」

「え?」

どきりとした。
また。最近こんなことばかり。
三蔵の低い声に慌てて振り返れば、そこには不機嫌そうな三蔵がたっていた。
相変わらず愛用のタバコを口に咥えて、俺をじっと見てきて。
紫暗の瞳に囚われそうになる。
その瞳に耐えられなくなって、ばっと目を逸らした。

「ウゼェんだよ。」
「ひでェよ。さんぞー…。」

最近の俺はいつものように一人で遊んでいたり、たまに悟浄たちのトコに行ったり。
三蔵に声をかけても三蔵は忙しそうだから、そんな日々を過ごしていて。
その日にあったことを三蔵との夕食のときに話していたりしていたんだけれども…。
最初は夢中で話してて気がつかなくって、でも途中で気がついて、ただ夢中で話していることなんてできなくなって。
何に気がつくのかってのは、三蔵の紫暗の瞳が俺を見ていることに。
三蔵はいつも何かをしているから俺の話を聞いているのかいないのかわからない。
そんな三蔵がたまに俺をじっと見ているときがある。
それに気がつくと、とたんにだめになるのだ。
俺の中の海は荒れて、平静でいられなくなる。
だからいつも…俺から目を逸らす。
それを三蔵が嫌うことを知ってはいたけれども。

「俺、わっかんねェー。俺の中には海があるんだ。」
「………。」
「いつもは本当、すっげェー静かなのに、三蔵がいるとダメだ。」
「………。」

ぎゅっと胸元の服を握り締める。
今もそう、俺の中の海はその穏やかな波を徐々に荒立たせていくのだ。

「三蔵のその目と目が合うとダメだ。」
「………。」
「とたんに手が汗ばんで、体が熱くなって、頭ン中くるくるして、俺の中の海が荒れる。」
「………。」
「台風の時みたいに。」
「………。」

立っていられないくらいに激しい音と、波。
くるくるまわる頭の中。
それは八戒に見せてもらった、台風のときの海のように荒れ狂って、俺の中で騒ぐ。
三蔵の瞳に見つめられるだけで、俺の心の海に風が吹く。
波はその大きさを増して、心臓はコレでもかってくらいに煩くて、胸が苦しくて、息苦しい。
それに耐え切れなくなってきて…俺はそこから逃げ出したくなるんだ。

「三蔵。俺、わっかんねェよ。なんで?どうして三蔵のこと好きなのに、三蔵の傍から逃げ出したくなるんだ?」

ぱっと顔を上げると、やっぱり三蔵の瞳は俺を見ていた。
三蔵の口に咥えたタバコの煙がゆらりと揺れて、三蔵の長いまつげが伏せられる。
綺麗な三蔵が小さく舌打ちをした。
その僅かな三蔵の反応に、指先がピクリと反応を示す。

汗ばむ手を服の裾で拭いて、三蔵の反応を待つ。
身体の全神経が三蔵に向かっていて、三蔵の吐息一つすらにも敏感になっていた。

「バカが。」

ぴくんっと耳が動いた。
耳障りのいい三蔵の声。でもその言葉に、緊張の糸が切れそうになる。
とたんになんだか泣きたくなってきて、その場から逃げ出そうと足を踏み出した瞬間。
視界の端で地面に落ちる三蔵のタバコが見えた。
掴まれた手首に驚いて振り返る。

さらりと、三蔵の金髪が揺れて、あの紫暗の瞳が目の前にあった。





「…さん…ぞ…?」
「なんだ。」
「俺、コレ知ってる。」
「………。」
「コレは、好きな人同士がするんだ。」
「そうか。」
「…三蔵は俺が好きなの?」
「…………。」
「俺は三蔵が好き。」
「………ソレが答えだろ。」





初めて触れた三蔵の唇は、ほろ苦くて、でも柔らかくて、温かくて。
一瞬穏やかになっていた俺の中の海は、だんだんとまた、その波を荒げていく。
何が起こったのか、頭で理解したとたん、また俺の心臓は煩く音を立てて。
聞いた質問の直接的な返事は得られなかったにもかかわらず、何故だか顔が緩んだ。

俺の中の海は、その水の量を増して。

今にも溢れ出しそうなくらい、その水で満たされる。
そして静かになった海は、今度は熱を帯びた。



この海の名前を俺は理解した。





>>>あとがき

最初は『台風』をテーマに書いていたのに
突然『夕暮れ』が出てきて…
でもやっぱり悟空の心の『台風』が書きたくて…
もうどっちがテーマなんだか…!!(笑)
むしろ『海』な気もしますが、それは黙っておいてください………。
テーマに沿っていないんじゃないかと不安です〜…。

読んでくださった方、ありがとうございましたv

2004/09 まこりん



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