■■■ ヒトコト
たったヒトコト。
たったヒトコトだけ。
君に言いたくて。
君に伝えたくて。
でもそのたったヒトコトが。
口にできなくて。
たったヒトコトなんだ。
ヒトコト―――――。
そのヒトコトの重みが、僕の口を重くしてしまって。
ヒトコト。
何度も喉まで出かかったその言葉は、ポケットの中にある箱と一緒に
まだ僕のてのひらの中にある。
「アシュトン?最近つまらなそうだね。」
「え?」
ぴょこんっと、栗色の髪の毛が目の前で揺れる。
くりくりの大きな瞳が、あの頃とかわらない位置で僕を覗き込んできていて。
それにどきんっと心臓が音を立てた。
「そ…う…かな?」
「うん。」
震える指先をポケットに突っ込むと、かさりと音をたてた。
それにまた胸が微かに跳ねて。
空は青空。
ぽかぽか春の陽気。
風はゆるやかに春の香をのせて、ふわりと二人の間をかけ抜けて。
ばさばさと舞った彼女の髪が、きらきらと太陽の明りに輝いた。
「……アタシ…さ。思ったんだけど…。」
「何を?」
珍しく彼女が視線を下に落として、瞳を伏せる。
その仕種は二人出会った頃にはなかったものだから、どきりと…した。
なんとなく…だけど。
嫌な予感。
「……アシュトン…ギョロウルを…払い落としたじゃん?」
「うん。あの時はありがとう。」
そう。彼女と一緒に見付けた払い落としの方法。
それでギョロとウルルンは消滅させずに払い落とすことが出来て。
僕の背中はもう軽くなっていた。
「……だから…なんて言うのかな…。また…一人旅に、戻っても良いんだよ?」
彼女の言葉に、心臓が鷲掴みにされた。
くらりと頭がふらついて、視界が回る。
耳を疑った。
何?
何?
彼女は、なんて言った―――?
「だってさ、ホラ、もういいんだよ〜。無理してココにいなくても!あの頃とは違うもん。」
くらりくらり。眩暈がして。
でも彼女の声は、きちんと耳に届いて。
あの頃とは違う。
確かに違うのだ。
お互いの歳も一緒にいる理由も。
『何〜?アシュトン行くとこないの?じゃ、うちにおいでよ!ギョロとウルルン、消滅させないで払い落とす方法みつかるまでいたらいいよ!』
今でも鮮明に覚えてる。
彼女が差し出した手と一緒に僕に言ってくれた言葉。
忘れる訳なくて…だってずっと…この言葉に甘えてきた。
甘えて…そして震えてきた。
『みつかるまで』
その言葉が、僕をいつも不安にさせていたのだから。
あの頃とは確かに違う。
けれど違わないものもあって。
二人の距離も…そして僕の想いも。
「プリシ…スは…僕に………。出ていって…欲しい?」
掠れた声が喉の奥からやっとでる。
ぎゅっと握り締めた拳に、かさりと箱が当たって。
乾いた唇が震えた。
「………アタシ、レオンと結婚することにした。」
彼女の口から零れた言葉は、さっき僕が感じた衝撃なんかとは比べものにならない程の衝撃となって…僕を暗闇の淵に叩き落とした。
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