■■■ secret love - act 2 キモチ - あれからずっと…あのキスの意味を考えている。 「イタっ…」 「アシュ?」 慌てて指先を口に咥えると、鉄の味が口中に広がった。 そっと口から出すとうっすらと紅い線が入っていて、じわじわと紅い液体が滲み出てくる。 もう一方の手で持っていた短剣を置くと、もう一度指を口に含んだ。 剣の手入れをしていて切ったのだ。 「切ったのかい?レナを…」 「いっ…いいよ!こんな傷でわざわざ…」 視界の端に映った眩しい金色にどきりとして、ふいっと顔を背ける。 心配そうに覗き込んできた青年から、逃げるように手を引いた。 「でも…」 「大丈夫だよ」 「だめだよ。ちゃんと手当てしないと。菌でもはいったらたいへんだよ」 「大丈夫だから!クロードっ!」 自分の手首をさっと掴んで、切れた指先を見るクロードのその仕草に顔が熱くなる。 止めてと、離してと、叫び出したいくらいにこの状況が苦しかった。 手首を掴まれたこの状況は、ほんの数週間前にあった出来事の時と同じシチュエーションだ。 あの出来事で毎日眠れない夜を過ごしているというのに、これ以上悩むのは、困るのは、嫌だった。 その時のアシュトンの表情を、クロードは何ととったのか。そっと掴んでいた手を離した。 そして……… 「ごめん」 一言、謝って部屋から出ていってしまった。 残されたアシュトンは騒ぐ胸に、よくわからない今の気分に、苦しそうに眉を寄せた。 失敗した。あのキスは、二人の関係を壊しただけだった。 無意識とはいえ、なんであんなことをしてしまったのか、後悔ばかりが頭を支配する。 あれから今まで通り過ごしているけれど、決して今まで通りではない点もあった。 壁がある。見えない壁が、二人の間に。あのアシュトンの瞳に宿るのは、戸惑いの光。 きっともうわかってるのだ。アシュトンは。クロードがアシュトンに寄せる想いに。 そして戸惑っている。いや、拒絶されているのかもしれない。 「くそっ…!」 宿にとった自分の部屋に戻るなり、はめていた手袋を外して床に叩きつけた。 だったら、今まで通りにしてくれない方がマシだった。 今まで通り自分の部屋に呼んだり、クロードの部屋に来たりしなければ良いのだ。 「くそっ…」 今度は力無く呟く。知ってる。彼が今まで通りに接しようとしている理由を。 それが彼の優しさで、彼自身が自分を守る術なのだ。 一人に戻りたくない、誰かといたいという、彼の………。 コンコンと、扉が叩かれる音がする。 不思議と、そこにいる人物が誰なのか、クロードにはわかっていた。 こんな気配をさせる人を、こんなに胸が締めつけられる気配をさせる人を、自分は一人しか知らない。 「悪いけど、今…会いたくない。」 自分でも驚くくらいに低い声だった。 「…ごめん」 扉の向こうから聞こえてきた声に、はっとして顔をあげた。 慌てて扉に駆け寄り、勢いよく扉を開く。 自分の部屋へと戻りかけていたアシュトンが驚いたように振り返っていた。 「…嫌われたかと、思ったんだけど…」 「アシュトン…」 アシュトンの表情に、泣きたくなってくる。 こんな表情をさせたのが自分なのかと思うと胸が軋んだ。 今にも泣き出しそうな、淋しそうな、表情。 「嫌う…わけ、無いだろ…。ぼ、俺は…」 こんなに君を好きなのに。 想う気持ちは口にする前にアシュトンに妨げられる。 「嫌われて無いなら…良いんだ…。ごめんね。もう寝るよ」 傷付けた。傷付けてしまった。クロードは果てしなく後悔していた。 なんて淋しそうな、悲しそうな、瞳。 大好きだったアシュトンの笑顔を無くしたのは自分だ。 「明日は前線基地に行くんだよね…朝早いし。おやすみ」 そう言うとアシュトンは微笑んで自分の部屋へと戻って行った。 微笑んでいる。なのに瞳は今にも泣き出しそうで。 悲しそうに、淋しそうに口許だけで微笑むアシュトンに胸が締めつけられる。 あんな、笑顔が見たかったんじゃなかった。 最後にアシュトンが見せた、泣き出しそうな微笑に、クロードは胸が締めつけられて…とても、苦しかった。 ぱちぱちと焚き火が音をたてて揺らめくのを、じっと見詰めていた。 炎に乾いた木の枝をさしいれ、アシュトンは溜息を付いた。 「…暖かい」 夜。深夜と呼ばれる時間帯である。 ラクールから前線基地へと向かう中、一行は野宿をしていた。 炎の番をかってでたのはアシュトンだった。 背中の竜は二頭ともうつらうつらと揺れている。 「眠れ…ないの?」 後ろに感じる気配に、アシュトンが呟くように声を掛ける。 すると声を掛けられた人物が、ゆっくりとアシュトンに近付いてきた。 「わかった?」 「番を…している時は、気を張っているからね」 一人旅が長かったから、必要以上に警戒してしまう。 そう笑って、アシュトンが再び火の中に木の枝を投げ込んだ。 後ろから近付いてきた青年が、アシュトンの隣に座り込む。 アシュトンは隣に座った人物を見ることも無く、炎のゆらめきを見ていた。 「クロード…。僕はあれから…ずっと、考えていたんだけれど………」 「うん…」 「なんで、クロードは…僕に、き、キス。したのかな…って」 アシュトンの言葉にクロードが目を丸くした。 昨日の出来事があったというのに、この後に及んで何を言い出すのか。 自分の気持ちがアシュトンに知られてしまったと思っていたのは、自分だけだったのかと、笑い出したくなった。 「わからないんだ?」 緩む口許はそのままに、クロードがそっと、アシュトンの顔をのぞき込んだ。 「わかんないよ。なんで僕にキスを?って思う」 クロードは苦笑すると、そのまま手元にあった小枝を炎の中に投げ入れた。 「…なんで、ね。…無意識だったんだ。あまりにも、アシュ…。君が…。か…。」 言いかけた言葉を呑む。はっと、クロードは口を掌で覆った。 (何を…。僕は。) 一瞬頭に浮かんだ感情に戸惑う。 かわいいなんて、かわいかったからキスをしたなんて、あまりにも陳腐で、安い、軽い言葉だ。 たとえそれが真実でも、この言葉はたぶんアシュトンにはあまり意味が無い。 それどころか男のアシュトンには不機嫌にさせるだけだと思った。 「…忘れて欲しいよ。どうかしてた」 不毛な、この恋を終わらせなきゃいけない。 今ならまだ、もとの関係に、もとの位置に戻れる。 たとえそれが、自分にとって、望んでいない、辛い位置だとしても。 目の前のアシュトンの笑顔が取り戻せるのなら…。 心からそう思った。 「クロー…ド」 「勝手に身体が動いたんだ。無意識だった。意味は無いよ」 立ち上がると軽くズボンに付いた埃を手で払った。 そのままクロードは寝床へと戻ろうと、足を向けた。 アシュトンへのこの想いは、吹っ切らなければいけない。 そう、心に言い聞かせて。しかし…。 「でもクロード!今君は『わからないんだ?』って、聞いてきたよ。 それはつまり、クロードの中では答えがあるってコトだ!たぶん、それは…!」 アシュトンの言葉が背中に突き刺さった。 鈍いんだと思ってた。さっきの会話から、気が付かれていないんだと思った。 でも違ってた。 「…アシュ。君は…やっぱりズルイね」 クロードの顔が苦しそうに歪んだ。 振り返ると、焚き火のせいではないとわかる程に頬を染めたアシュトンがいた。 その顔がまた、クロードの欲望を煽っていると、気がつかないのだろうか? ふつふつと、押し殺そうとしていた感情が、身体の奥底から湧き上がってくる。 身体中の血液が、沸騰しそうなくらい熱い熱をもって身体中を駆け巡る。 「言わせたいんだ?この僕に。言ったら、返事をくれるというの?言ったら、この胸に抱いていいというの?」 この感情を、どこにぶつければ良いと言うのか。 「………」 ぶつけたくなる想いを、閉じ込める。 苦しそうに、切なそうに眉を寄せたクロードに、アシュトンは何も言葉が無かった。 ぎゅっと、汗ばむ手を握り締めて。唇を噛み締めた。 「おやすみ」 アシュトンの顔は見ずに…そう優しく呟くと、クロードは歩き出した。 その背中に、アシュトンが眉を寄せる。 小さくなっていくクロードの背中から目を反らすと、アシュトンは再び炎に目をやった。 なぜか痛い喉の奥に、熱い目頭に、口元が歪む。 ゆらゆらと揺れる炎が、アシュトンの瞳に映る。 「わからないんだ。わからないんだよ。僕は…」 ぽつりと呟くと、そのまま膝を抱え込みアシュトンは膝の上に額を乗せた。 あとがき |