■■■ 2度目の恋 act1予感
冷たい水を掬い上げて、勢いよく顔に当てた。
ぱしゃぱしゃと音をたてて、顔を洗う。
持ってきていたタオルを手に取ると、優しく顔に押し当てて水を拭きとった。
「ふぅ・・・・・・。」
小さく溜息を付いて顔を上げると、鏡に映った自分がいる。
「酷い顔・・・・・。」
眠れなかったのが連れの青年にもわかってしまうかもしれない。
少女は軽く髪をかきあげると、乱れた月の髪飾りを手で直した。
眠れなかった理由は一つ。
昨晩クロス城下町に到着して、知り合いの宿屋に宿を取ることにした。
そのとき、宿屋のおばさんと交わした会話に出ていた、
幼馴染のことを考えていて眠れなかったのだ。
「ディアス・・・・・。」
> ディアス・フラッグ。
少女の幼馴染で、大切な親友のお兄さん。
そして、初恋の人。
2年前少女のいたアーリア村を出ていってしまったその青年が、数日前このクロスに来たというのだ。
本当の母親を探したい。
そう連れの青年には言ったが、心のどこかではディアスを探したい。
もう一度会いたい。そう思っていたのも事実だ。
だから、ここに来たと聞いて、いてもたってもいられなかった。
気になって気になって、眠れなかったのだ。
「今は、どこにいるの・・・・・?」
両腕に巻いた、深い青色のリボンをじっと見詰める。
さらりと解くと、その下に現れた白くて細い手首にそっと、口付ける。
「ねぇ・・・・。ディアス。」
手首から唇を離すと、持っていたタオルをもう一度顔に当てた。
「あなたが残した、アトが・・・・・。もう消えちゃったの。」
熱くなる目頭に堪え切れなくなって、少女はその場に座り込んだ。
「村を出るって・・・・・。」
目の前ですまなそうに、淋しそうに微笑みながらも、
瞳に強い意志を宿した青年にそれ以上言葉がでなかった。
わかってた。
彼が村を出ると言った理由も、それが決して簡単な思いでは無いということも。
「すまない。レナにだけは、言っておこうかと思ったんだ。今夜、行くよ。」
青年の力強い声が耳に届く。
胸が鷲掴みにされたみたいに苦しくて、レナは眉を寄せて唇を噛み締めた。
「・・・・・・・。」
「レナっ!?」
気がついたらその場から逃げ出していた。
わけがわからない気分のまま、自分の家へと走り戻った。
勢いよく自室に戻ると、ベッドに倒れ込む。
自分の愛用しているシャンプーの香りが鼻を擽って、それは親友のセシルと、
ディアスが愛用していたものと同じだということが頭の隅をよぎった。
それがまた、自分をよくわからない気分にした。
泣きたくて。
ただ、泣きたくて。
涙した。
泣き出すというよりも、涙を零すといった表現が正しいと思った。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ・・・・・。」
走ったせいで乱れた息がくるしくて、だんだんと出てきた嗚咽がくるしくて、
レナは堪えきれないように布団を握り締める手に力を入れた。
「うっ、うぁっ、やだ、やだっよぉ〜。ディアス、や、だ・・・・・。」
溢れ出る涙を布団に押し当てて、口から漏れる嗚咽に眉を寄せた。
不安とか、淋しさとか、恐いとか、負の感情だけが胸を支配していく。
何がこんなに恐いのかとか、不安なのかとか、身体の中すべてが『嫌』って気持ちでいっぱいなのかとか。
わからなくて、泣くことしか出来なかった。
ディアスがいなくなる。
それがなんでこんなに『嫌』なのかわからなかった。
「私・・・・・何が、嫌なの?」
なんとか涙が落ちついてきた頃、うつぶせていた身体を仰向けにして、
レナは窓の外を見た。
射し込む月の光に心が落ちついてゆく。
それでも負の感情が心を支配していることにかわりは無かった。
「ディアスが、いなくなるから。」
自分の胸を支配しているよくわからない疑問要素を口にして、少しずつ答を求めていく。
まるで難しいパズルを解いている様だと思った。
「何で?」
月明かりに目を細める。
「・・・・・・・なんで、ディアスがいなくなると、嫌、なの?」
眩しい光を遮ろうと、腕を軽くあげた。
そしてそのままぱたりと、また自分の身体の横に落とす。
「だって、村の外は危ないわ。」
違うと思った。
「敵討ちなんて、危ないわ。」
これも違うと思った。
「私を、一人にしないで。」
ちょっと、近付いたと思った。
「・・・・・・・・・・。」
パズルが、解けた。
がばりと勢いよく起きあがる。
ディアスは今夜出ると言っていた。
まだ間に合うかもしれない。
レナは急いでベッドから降りると、机の引き出しを開ける。
中から明るいエメラルドグリーンのリボンを取り出すと、握り締めた。
「だって、私は・・・・・・。」
乱れた服も髪もそのままに、レナは勢いよく自室を飛び出した。
「ディアスが、好きだから。」
口の中で呟くと、家を飛び出す。
後ろの方で母が何かを言っているのが聞こえたけれど、そんなことで足を止めることは出来なかった。
「ディアス・・・・・。」
簡単に作られた十字架の前に、花束が置かれていた。
よく見知った背中に声をかけると、声をかけられたディアスが振り返った。
「レナ・・・・。こんな時間に・・・・危ない。」
「あなたがいるとわかっていたもの。」
微笑むとディアスも口許を緩めた。
家を飛びだした後、ディアスの家に向かったら灯りが消えていた。
だとしたら、ディアスがいるのはここしかないと思った。
神護の森の奥深く。
彼の妹と両親が眠る場所だ。
「行くの?」
それは唐突だった。
少女の口から出た唐突な問掛けに、青年は一瞬戸惑ったが力強く頷いた。
「ディアス・・・・・。」
レナの瞳に木々の隙間から射し込んだ月明かりが宿る。
その魅惑的な瞳の輝きに、ディアスは息を呑んだ。
「好きなの。」
「レナ・・・・・・。」
これも唐突だった。
突然の告白。
ほんの数分前に気がついた、ずっと自分でもわかっていなかった想いを口にした。
それは・・・・・・、青年がずっと、ずっと。
心に秘めていた想いと一緒だった。
「だから・・・・・。」
するりと、レナが自分の腰布を外す。
その滑らかな、流れるような一連の動きを、青年は夢を見ているような瞳で見詰めていた。
「思い出が、ほしいの。」
「レナ、よせ。」
震える手を握り締めて、ディアスはレナから目を反らした。
「あなたがいない間、淋しさに絶えられる、思い出が。」
するすると服がレナの足元に落ちていく。
脱ぐというよりも、滑り落ちていくという表現の方が正しいだろう。
現れた白い肌が、月明かりに照らされる。
穏やかに微笑みながらも、有無を言わさせない強い瞳に、ディアスは眩暈を感じた。
「レナ、頼むから・・・・・止めてくれ。お前を抱くことは出来ない。」
眉間に皺を寄せて指を押し当てた。
これ以上レナを見ていたら、自分の感情を押さえきれなくなることはわかっていた。
自分がもう何年も、何年も、何年も!恋焦がれていた少女なのだ。
それでも、幼い少女を抱くことは出来ない。
それはこの少女を大切に思っていて、愛していたからだ。
下着姿でディアスを待つ、少女にゆっくりと近付く。
何も聞こえなかった。
ただ、静かな空気だけが流れていて。
「レナ。」
「お願いだから・・・・。ねぇ・・・・・?ディアス。」
目の前にいる、愛しい少女をそっと・・・・・・、身につけていたマントで包むように抱き寄せた。
冷えた少女の肌に直に自分の指が触れたその感触と、
腕に抱き寄せた瞬間に鼻を擽った少女の香りに、眩暈がして脳が痺れる。
「レナ。」
そっと、額に口付ける。
ぽろぽろと涙を流しはじめた少女の涙を指で拭ってやると、
今度はその唇に優しく口付けた。
「ディアスぅ・・・・・。」
切なそうに、悲しそうに、レナがディアスの名を口にした。
わかっていたのだ。レナには。
決して彼が自分を抱いてはくれないということが。
わかっていたけれど・・・・・カケにでていた。
青年に自分の本心を伝えることで、自分に深く、強くアトを残して欲しくて。
切なげな瞳でレナがディアスを見上げる。
見上げたソコには優しい瞳で微笑む青年の顔があった。
その瞳の暖かさに・・・・切なくて、涙がでる・・・・・。
ぎゅっと青年のマントを握り締めると、レナはディアスのマントに顔を埋めて・・・・・。
声もなく涙した。
脱いだ服に腕を通すと、冷たい生地の感触がした。
身なりを整えたレナの手首をそっとディアスは掴むと、そこに唇を寄せた。
「ディア・・・・・んっ!」
手首に感じた痛みに、レナが眉を寄せる。
痛みを感じた場所にレナが目をやると、ほんのりと紅く染まっていた。
「コレを見て、俺を・・・・・思い出すといい。」
「ディアス・・・・・。」
悪戯っ子の様に笑ったディアスに、レナは嬉しそうに微笑んだ。
そっと手首をもう一方の掌で包むと、小さく頷く。
それを確認するとディアスは懐からレナの髪と同じ、鮮やかな青色のリボンを取り出した。
「セシルの・・・・・・?」
レナが不思議そうに首を傾げる。そ
れに口許を緩めると、ディアスはレナの細い手首にリボンを巻きつけた。
「次に、この村に俺が戻ってくるまで・・・・・。こうしていて・・・・?」
溢れる涙は止めようがなかった。
だから涙はそのままに、レナはスカートのポケットからエメラルドグリーンのリボンを取り出した。
セシルとディアスがレナの誕生日にくれた、今手首に巻き付けているリボンの色違いのものだ。
「コレを・・・・・。」
今度はレナがディアスの手首にそれを巻きつける。
二人微笑むと、もう一度・・・・・。
唇を重ねるだけの口付けを交わした。
「泣いてちゃ、ダメだ。」
溢れ出そうになる涙を堪えると、レナは洗面台に手を置いて立ち上がった。
瞳が赤くはなっているが、大泣きしたわけでは無いのですぐにおさまるだろう。
肺いっぱいに息を吸い込んで、おもいっきり吐き出すと微笑む。
鏡に映った笑顔を確認すると、くるりと、鏡に背を向けた。
「クロードさん・・・・・クロードが、待ってる。行かなきゃ。」
(会えるわ。)
確信があった。
いつかどこかで会えると。
たぶんその日はそう遠くない。
2年前アトをつけてもらった手首が、熱く疼いている。だからわかる。
もうすぐ、会える・・・・・・・。
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